バンクーバーオリンピックも折り返し点に来ましたね。今週はなんといっても真央ちゃんから目が離せませんね。
さて、オリンピックの会場であるバンクーバーとウィスラーはちょうど20年前に友人と二人で1週間程スキーをしにいったことがあります。当時、私はまだ学生で、親元から仕送りしてもらっている身分でしたから、当然親には内緒でバイトで貯めたわずかなお金を握りしめスキーリゾートに出かけました。
若い頃の勢いというのは怖いもので、それまで何度か海外旅行を一人旅していた経験が変な自信をつけてしまい、友人から「宿だけは予約しとこうよ」という忠告に私は耳を貸さず、クリスマス休暇のまっただ中に世界屈指のリゾート地に、宿の予約もせずエアーのチケットだけで出かけてしまったのでした。
バンクーバーの空港に降り立つと、早速難題が待ち受けていました。アンカレッジで飛行機を乗り継いだ際に、荷物がどこかに行ってしまったらしく、手元には機内に持ち込んだ手荷物しかありません。服装も、ジーンズにスキーウェアーの上着だけでした。
当時、バンクーバーには寒波が押し寄せてきており、外は当然氷点下です。空港の係員に手荷物が見つかればホテルに届けるから滞在先を教えろと言われ、ウィスラーだと答えるとウィスラーのどこだと聞かれ、まだ決めてないというとクレージーだとあきれられてしまいました。
それでも、貴重品は手元にあったし、万が一の時のためにクレジットカードも作っていた(当時は今程クレジットカードは学生の間で普及していませんでした。)ので、とりあえずウィスラーまで行ってしまえということになり、ウィスラー行きのバスに乗り込んだのでした。
さすがに、危機感を覚えた私の友人は、バスの中で日本人らしき女の子を見つけ情報収集を始めました。それによると、この寒波でウィスラーの気温は氷点下27度、前日に強風でリフトが止まり、リフトに乗って待たされていた年配の方が凍死してしまったため、スキー場はクローズしているというではないですか。
さすがにこれには私も驚き、事情を話して彼女に助けてもらおうと懸命に食らいついたところ、たまたまウィスラービレッジでバイトをしている子で、知り合いにロッジを経営している人がいるから頼んであげるということになりました。
ビレッジのカフェで待っていると、彼女から満室だがダイニングのソファーでよければ泊めてくれるとの返事をもらい、ほっと胸を撫で下ろしました。
しかし、まだ荷物が手元にありません。宿に着いて、空港に電話を入れたとこと、別の便で届いたとののことだったのですが、ロッジが無名で分からないから、夜8時に近くの交差点でバスがくるのを待っていろという指示でした。
しかし、私はまだウィスラーを舐めていました。そして、夜8時のバス停でそれをとことん思い知らされたのです。私たちの格好は、下はジーンズです。股引などははいていません。氷点下27度、しかも風が強く吹いています。
呼吸をする度に、鼻がじゃりじゃりします。そう、息が凍ってしまうのです。10分と立っていられません。私たちは、あたりを走り回りながらバスを待ち、ようやく手荷物を手にすることができたのです。
まあ、大変だったのはここまでで、その後1週間は思う存分スキーを楽しんで来ました。後にも先にもこれほど楽しいスキーはないのではないかと思う程でした。
テレビでスキーの会場を見るたびに、厳しくも楽しかったスキー旅行を思い出す今日この頃です。
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