下流志向 インフォームドコンセントは日本人の国民性に合うのか?

内田樹という人をご存知の方をご存知ですか?僕は1年前からブログを読み始めたのですが、これが自分が常日頃感じていたことを見事に分析して明文化しているのに感銘を受け、暇があればブログを読んだり、著書を読んだりしています。

そして、先日「下流志向」という教育論を読んだのですが、地盤沈下のように沈んでいく日本の教育を見事に分析した名著だと思いました。僕には、小学校と幼稚園に入ったばかりの二人の子供がいますので、当然教育には子供の教育には関心があるのですが、同時に医院で一緒に働くスタッフとも微妙な年の差があり、彼女達のものの考え方を理解するのにもこうした本を読むととても参考になります。

その中に「インフォームドコンセント」に触れた一説がありました。インフォームドコンセントは「自己決定したことであれば、それが結果的に自分の不利益をもたらす結果であってもかまわない」「自分のことは自分が決める」というある種の「自己決定フェティシズム」であるといっています。

なぜ、フェティシズムなのか。インフォームドコンセントが浸透しているアメリカに住んでいる著者の友人が、「治療法Aと治療法Bがあるが、よく考えてどちらにするか決めてください」と言われたとき、かつて勉強したことがない程図書館で文献などを読みあさって治療法を決めたそうです。

そこまでして決めたのだから、たとえ治療法の選択が間違っていたにせよ、「決定を下したのが私である」という自尊感情がそのマイナスを補って、おつりがくる。ただ、日本の場合はどうも違うようです。

僕もそう思っていました。アメリカの歯科医師からよく聞く話ですが、アメリカの患者さんは自分の歯の治療法について実に良く調べて来ると言います。「2007年のなんとか大学のなんという文献にこういう治療法がいいと書いてあるのだが、この治療法はどうでしょう」ということを言ってくる患者さんが結構いらっしゃるそうです。

つまり、「自分で決定を下す限り、自分が納得するまで調べ尽くす」という意識が結構あるそうです。しかし、日本においてはそこまでする人は少ないように思います。どうも、日本人の民族性からすると厳密な意味でのインフォームドコンセントは、なじまないのではないかと考えています。

つまり、「治療法Aと治療法Bがあるが、よく考えてどちらにするか決めてください」ではなく、「治療法Aと治療法Bがあるが、医師としては治療法Aのほうがカクカクシカジカの理由であなたには合っていると思うのだがどうでしょう」というところまで言う必要があるのではないかと思っています。

なんだか、難しい話になってしまいましたが、もっと簡単に言えば「この洋服もこの洋服もどちらもサイズはぴったりですから自分で選んでください。そのかわりあなたが選んだものは返品できませんよ。」というのではなく、「どちらの服もサイズぴったりですが、こちらの方がお似合いですよ。それでお求めになってどうしてもお気に召さないのなら、私が薦めたのですから返品の相談に乗りましょう。」というのを当院の方針にしていこうと考えているということを、皆さんにお伝えしたかったのです。
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