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記憶 阪神淡路大震災から15年

今日は、阪神淡路大震災から15年に当たる日でした。

15年前の今日の朝、熱を出してどうしても仕事に行けなくなり大学に電話をしたとき、電話を受けてくれた後輩が「先生!テレビ見てます?神戸が大変ことになってますよー!」と関西弁で言われ、スイッチを入れたところ、黒煙のあがる町並みをヘリコプターから撮影している映像が飛び込んできました。

皮肉なことに、電話で教えてくれた彼女の実家が、神戸でした。

神戸の悲惨な状況を見て何かできることはないかと思っていたのですが、それから1ヶ月程して私は震災地での歯科治療のボランティアとして現地入りしました。現地に入った時の記憶は今でも脳裏に焼き付いています。

神戸は全く初めてだったのですが、冒頭で述べた電話を受けた後輩とは別の神戸出身の後輩が同行していましたので、彼の案内に従い仮設の診療所まで向かいました。

神戸に近づくにつれ少しずつ地震の爪痕が深くなり、倒壊する家屋の数がたくさん目につくようになりました。

電車から降りて通りに出ると、あたりは埃で茶色く曇り、埃と焚き火の臭いにオートバイの出す排気ガスの臭いが入り交じり、経験したことはありませんがまるで戦後の街にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。

地震で家を飛び出した人の中には、入れ歯をなくした人や歯の痛みを訴える人がたくさんいました。

残念ながら私が行った時には、そういったこともだいぶ沈静化していましたので、実際に仮設の診療所にやってくる人は数える程で、あまりお役に立つことはできませんでした。

ボランティア活動が終わると、後輩が「神戸を見ていってください。」といっていろんなところを案内してくれました。崩れたビルや倒壊した鉄道の高架、避難所となっている学校などを見て回りました。

ボランティア活動は1泊2日だったので、同行した後輩の家に泊めてもらうことになっていました。そこで、彼のお母様が夕食をご馳走してくださったのですが、その時に語って頂いた地震の様子は今でも忘れることはありません。

正直言ってごちそうを頂きながら、ボランティアに行った自分たちが被災者の方におもてなしを受けるなんて不謹慎ではないかと思っていたのですが、後から後輩に「辛いときに、いろいろお話ができて久しぶりに楽しかったです。」とご両親がおっしゃっていたと聞き、救われた思いがしました。

ニュースで15年と聞いたとき、私はもう15年も経ったのかという思いがしました。今日はリビングで能天気に遊んでいる子供を捕まえ、特別番組を一緒に見ながら、子供達に自分が見てきたことを話して聞かせました。
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平野 恭吉平野 恭吉

平野 恭吉

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