ようやく暖かくなってきましたね。4月になると新入生や新入社員を電車の中や街中で見かけるようになり、「がんばれよ!」と応援したくなるような気持ちになるのは私だけでしょうか?
ただ不思議なことに、このフレッシュマンたちは数ヶ月すると周りの人に溶け込んで見かけなくなります。なぜなんでしょう?長年の深く考えることのない何気ない疑問だったのですが、先日ふと思いついたのでここで披露してみようと思います。信じるも信じないもあなた次第です。
それは、長男にスーツをあつらえていた時のことです。早いものでこの医院を開業したときは、ちょうど小学校に入学したばかりだったのですが、今年成人になります。人前に出て恥ずかしくないよう、スーツを探しにお店を巡ったのですが、試着させてみてもどうもしっくりきません。いわゆる「服に着られてしまう」のです。
なかなかしっくりしたものが見つからなかったので、諦めかけていたところ、たまたま入ったお店で見つけたものを試着してみると、これがピッタリだったのです。本人も羽織った瞬間に「これ着やすい!」と感想を漏らしていました。私も思わず「なんだか、急に一人前のビジネスマンになったみたいだね!」と声をあげていました。
そのスーツは本人の体型に合っていただけでなく、素材が柔らかくフィットしやすいものでした。
そこでピンときたのです!
フレッシュマンたちが春だけ目立つのは、新しい服を着始めのころは体に馴染まず、服が歩いているように見えてしまうのが、2〜3ヶ月もすると体に馴染んできて、徐々に周囲の人に溶け込んでしまうのではないかと。
人間の感覚というものはびっくりするぐらい敏感です。そんな体に馴染むか馴染まないかの微妙な違いをパッと見て感じ取るのです。それを「違和感」として捉え、誰もがさまざまな場面で感じるのです。
この「違和感」というものは、不思議と「違い」という感覚と異なります。この「違和感」とは、調和しない状態のことだと思います。「違い」は機械で判断できたとしても、「違和感」というものは機械で判断しずらいものではないかと思うのです。
先日、こんな面白いことがありました。
私はコロナでマスクを外でもつけなければならない状況に便乗して、1年ほど髭を伸ばしていました。ちなみにホームページの紹介には髭を蓄えた写真を載せています。
それを、手入れが面倒になって今年の年明けに剃ることにしました。ところが、私が髭を剃ったことに誰も気づきません。家族は4〜5日、医院のスタッフも私が自己申告するまで数日間気づいていなかったのです。もちろん、家族や医院のスタッフとではマスクを外して接していました。
おそらく、髭のない私も、髭を蓄えた私も家族やスタッフにとっては見慣れた存在で、違和感を覚えなかったのではないかと思います。
歯の治療にも同じことが言えます。歯の形や色は人それぞれです。そこだけ見ていると、色が悪いだの長さが短いだの理想的な歯と比べれば「違い」だらけです。例えば、次の写真を見てください。
治療前と治療後の写真を比べてみて、綺麗に治ったと思われましたか?
でも、この方、決して理想的な前歯とは言えません。色も綺麗で、歯の形も歯並びも申し分ないいようにみえるのですが、大多数の人と大きく違うポイントがあるのですがお分かりでしょうか?
実は、歯が1本ありません。よく見ると真ん中から2本目の歯が1本ないのです。
真ん中の歯の色や形が左右対称になると中心部の調和がとれ、さらに全体的に歯の色が明るくなったことで、それを見た人の意識が白くなったことに向くために、歯が1本ないことなど気にならなくなってしまうのです。
この方の口元を見た時に「綺麗な歯だな」と多く人が感じると思います。「歯が1本足りないな。」と思うのは我々医者ぐらいしかいないのです。
当院がコンセプトして掲げている「自然で美しい口元」とは、まさにこのことをいとしているのです。単に1本の歯を綺麗に治すだけはなく、お口全体のバランスを意識しながら、違和感のない自然な仕上がりを目指すことなのです。そのため、誰が見ても、違和感のないそれでいて綺麗だなと感じられるような口元になるよう、持っている知識と技術、そして「センス」を総動員して日々治療に当たっています。
いかがだったでしょう。フレッシュマンの話から歯の話に繋げてみましたが、いろんなことに繋がる話ではないかと思います。もし自分が髪型を変えて、周囲の人が誰も気づかなかったら、それは違和感がない証拠なのでしょう。むしろ、髪型が変わったことに周りの人がすぐに気づいたのなら、以前と違ったイメージになったということなのでしょう。良くなったか悪くなったかは別として。
今回のコラムをお読み頂き、そういう見方があるのだなと認識していただけたら光栄です。